あの日のオルガンのロケ地や撮影場所はどこ?舞台となった疎開先は?

2019/02/20
 
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扉子
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太平洋戦争末期、東京品川の保育所の保母たちが保育所の集団疎開をしたという実話があります。

その実話をもとにした映画「あの日のオルガン」が2019年2月22日に全国ロードショーされます!

主演は戸田恵梨香さんと大原櫻子さん。

この予告編見ただけでうるっと来てしまいますが…。

今回は映画「あの日のオルガン」のロケ地や撮影場所などをまとめました。

 

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映画「あの日のオルガン」のロケ地や撮影場所はどこ?

物語の舞台は東京や埼玉なのですが、撮影は京都を中心に行われました。

電線等の映り込みがない場所や疎開先の農村を彷彿とさせるところが選ばれたそうです。

 

松竹撮影所

京都太秦にある松竹撮影所にて疎開先である寺の室内シーンは撮影されました。

 

亀岡市曽我部町法貴

主演の戸田恵梨香さんが園児たちと歩くシーンに使われました。

 

亀岡市 丹波国分寺跡

園児が屋外で遊ぶシーンが撮影されました。

 

舞鶴市 松尾寺駅

撮影は2018年2~3月に行われたので、このツイートは「あの日のオルガン」の撮影のことでしょうね。

 

 

 

大正時代から続く風情のある駅舎です。

 

舞鶴市 大庄屋 上野家

その名前の通り、庄屋さんだった上野家の屋敷等ですね。

屋敷や蔵は国の有形登録文化財、庭園は京都府の指定文化財に登録されており、保存活動もされています。

母屋ではカフェも経営されているそうですよ。

 

映画「あの日のオルガン」舞台となった疎開先の場所は?

 

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映画「あの日のオルガン」は東京品川の戸越保育所の集団疎開についての物語です。

疎開先は埼玉県蓮田市の無人寺、妙楽寺。

旧平野村にありますが、平野村も村民の2割を兵力としてとられてしまっており、園児53人と保母11人の約70人分の食料を調達するのに奔走したそうです。

昭和19年11月末に桶川駅に到着した園児たちは、6キロの道のりを歩き妙楽寺に到着。

戦争が終わり引き上げる昭和20年12月まで1年をこの妙楽寺にて過ごします。

 

映画「あの日のオルガン」あらすじとキャスト

太平洋戦争のただなか、日に日に激しくなる空襲から子供たちを守るため、東京戸越保育所の保母は疎開先を探していました。

小学校などの疎開はありましたが、保育所の疎開は珍しく保母たちは国の支援もない中園児を連れての疎開を実行します。

親と離れたくない子供、子供を手放したくない親と向き合い、命を守るために。

しかし疎開先では環境の変化から問題が次から次へと起きます。

そして疎開先にも空襲が迫っているのでした…。

キャスト
板倉楓(戸越保育所保母):戸田恵梨香
野々宮光枝(戸越保育所保母):大原櫻子
神田好子(戸越保育所保母):佐久間由衣
山岡正子(戸越保育所保母):三浦透子
堀之内初江(戸越保育所保母):堀田真由
森静子(戸越保育所保母):福地桃子
江川咲子(戸越保育所保母):白石糸
大沢とみ(戸越保育所保母):奥村佳恵
近藤作太郎(疎開先の世話役):橋爪功
近藤梅子(作太郎の妻):松金よね子
近藤信次(作太郎の次男):萩原利久
脇本滋(戸越保育所所長):田中直樹
柳井房代(愛育隣保館主任):夏川結衣
疎開児童の親:林家正蔵、陽月華、山中崇、田畑智子

引用元:Wikipedia

 

まとめ

映画「あの日のオルガン」のロケ地や撮影場所についてお伝えしました。

疎開した子の中には、疎開後に起こった東京大空襲により母と妹を亡くした(父は戦争で亡くなっている)子もいたそうで、胸が締め付けられる思いがしました。

小さい子が受け止めるには重すぎる時代、それを支えた若い保母さんたちに光を当てたかったという平松恵美子監督の思いがつまった映画です。

全国ロードショーは2019年2月22日です。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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