平成狸合戦ぽんぽこの死出の旅の意味は何?宝船との関係についても

2019/04/06
 
この記事を書いている人 - WRITER -
扉子
Pocket

2019年4月5日夜9時から日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」にてアニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」が放送されます。

このアニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」は自然破壊を伴う開発に反対するたぬきが人間に抵抗するお話です。

絵はかわいらしいんですが、内容はかなり残酷です。

また考えさせられるし苦しいことがたくさんある難しい話だと考えます。

今回は意味がよくわからなかったという感想も多かった、物語の終盤でたぬきたちが宝船に乗ってどこかに出発するシーンの意味をお伝えします。

 

スポンサーリンク

 

平成狸合戦ぽんぽこの死出の旅の意味

阿弥陀の招く極楽の

補陀落目指し賑わしく

宝の船は死出の旅

ソレ ドンジャンドンジャン死出の旅

並のタヌキは死出の旅

行きて帰らぬ死出の旅

ソレ ドンジャンドンジャン死出の旅

哀れタヌキは死出の旅

ドンジャンドンジャン死出の旅

引用元:https://lolipop-teru.ssl-lolipop.jp/ghibli/ponpoko.html

讃岐の禿げ狸たちは人間の自然環境を破壊する開発に抵抗しますが、次第に人間には勝てないと悟っていきます。

かつては共に戦ったたぬきたちもだんだん分裂していってしまい…。

人間に強硬的に抵抗した権太たちはたくさんの同胞を失います。

 

人間に化けられる狸は人間に化けて人間界で生きていくことを選択します。

人間には化けられない並のたぬきは限られた里山の奥で細々と暮らしていくことを決めます。

 

では、人間にも化けられず、この世を悲観した並のたぬきたちはどうするか…。

宝船に乗ってこの世とおさらばすることに決めたのです。つまり死出の旅に出ることを。

死出の旅とは冥土に行くこと、つまり死ぬという意味です。

自分たちが住める場所がもうないので死にましょうと言うことなのですね。

生きるを選ばずに死ぬことを選んだ悲しいたぬきたちの結末でした。

 

宝船で死出の旅に出なければならなかった理由

 

スポンサーリンク

 

死出の旅に出た狸たちは、人間に変化することのできない並のたぬきたちです。

しかし同じ並のたぬきでも限られた里山で細々と暮らす生き方を選ぶたぬきもいたのに、どうしてこのたぬき達は宝船に乗って死出の旅に出ることを選んだのでしょうか。

推定年齢999歳の―

ほまれも高き禿ダヌキ

世の行く末をはかなんで

もはやこれまでおさらばと

八畳敷きの大キンタマを

エイヤエイヤの掛け声かけて

のばしにのばし 作り上げたは宝船

引用元:https://lolipop-teru.ssl-lolipop.jp/ghibli/ponpoko.html

並みのたぬきたちが死出の旅に出るために乗った宝船は、禿げ狸の大金玉だったのですね。

並のたぬきたちは死ぬために死出の旅に出たのではありません。

極楽浄土に行くために死出の旅に出たのです。

ですからそれはとてもおめでたい事、だから宝船なのですね。

 

讃岐の禿げ狸は、開発に抵抗するために四国から呼ばれた長老狸。

さまざま手を尽くして開発を阻止しようとするのですが、ことごとくうまくいかず、禿げ狸は踊念仏を始めます。

 

人間に対する行動を起こすことを辞めて宗教を設立したというところから、己の無力さを思い知り無力感を感じていたのではないでしょうか。

自分についてきてくれた並のたぬきたちの行く末を案じて、極楽浄土へ共に行こうと集団自決を決意してしまうのです。

 

己の金玉を広げて宝船に変化させ、並のたぬきを満載して、進んでいく…。

入水するんですね。

 

開発が進んでも限られた里山に残って細々と暮らしていく道を選んだたぬきもいれば、どうして宝船に乗って死出の旅に出たように自ら死ぬことを選ぶたぬきもいるのでしょうか。

それは並のたぬきたちは、自分たちには人間に変化する力がないという無力感とあの讃岐の禿げ狸でも人間には勝てないと悟ったことで自分たちには生きていくだけの力がないと思ってしまったからではないでしょうか。

 

また新興宗教の集団自決というのが現実社会でもたまに耳にする話ですが、他の考えを言ってはいけないという雰囲気が作られてしまっていたか、他の考えも思い浮かばないほど視野が狭くなるといったような現象が讃岐の禿げ狸と並みのたぬきたちにも起こっていたのではないでしょうか。

そして自らの無力感と戦闘の敗北を知ったとき、もうここに生きる場所がないと思い込んでしまったのだと考えます。

「ソレ、ドンジャンドンジャン死出の旅」と賑やかに死出の旅に出るたぬきたちを目に涙を浮かべて見送るたぬきたちがいることが、狂気を際立たせています。

 

死出の旅首謀者の禿げ狸は新興宗教の教祖

踊念仏を始めて、死出の旅に出てしまった讃岐の禿げ狸は初めから新興宗教の教祖であったわけではありません。

そもそも多摩丘陵を開発する人間に対抗するために四国からわざわざ召喚をされた、力の強い長老狸なのです。

しかし、自分の力を注いでも人間の開発を止めることができなかったという無力さから踊念仏を始めてしまうんですね。

踊念仏にしかすがるところがない。まさに神頼み。

そこにはあまりの無力感のために我を失った讃岐の禿げ狸の悲しく絶望的な気持ちが伝わってきます。

 

まとめ

アニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」に出てくる、宝船に乗ってたぬきたちが旅立つシーンの意味についてお伝えしました。

人間に対抗するために最初はひとつになっていたたぬきたちでしたが、その見通しの甘さと感情や思いつきを抑えられない性質、一つになれない悲しさが最後のシーンの方にはたくさん出てきていていました。

見た後に自然破壊と言うテーマだけではなくて、他のたぬきとのまとまらなさはまるで人間世界のようだと思いました。

ですからどこかもの悲しくすっきりしないアニメだなと思いますね。

人間社会の縮図がそこにありました。

 

ジブリ作品好きの人にシェアしてこの情報を届けませんか?

記事が参考になったという方はFBなどで「いいね!」もお願いします!

 

 

スポンサーリンク
この記事を書いている人 - WRITER -
扉子

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。

Copyright© 引き寄せの扉 , 2019 All Rights Reserved.